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2006/11/07 (Tue)
背後の最近考えてたこと。
つらつら長く書いてはいるけど単純な考え。
簡単に考えろってのが無理かな…?
ううん、むずかしい…;
いろいろ書いてるけど怒らないでねー!(汗
もっそい長いよー
つらつら長く書いてはいるけど単純な考え。
簡単に考えろってのが無理かな…?
ううん、むずかしい…;
いろいろ書いてるけど怒らないでねー!(汗
もっそい長いよー
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
なんとも難しい問題だな、と思う。
生きるために食べる、それはあること。
それはどの生き物だってそうしている。食物連鎖という自然の掟。
だからこそ、人も当たり前のように生き物を狩り、動植物を食べている。
でも人は複雑だから、「哀情」のもとに食べない、という人だっている。(それだけじゃなく、宗教上の問題や他もあるけどね…)
そりゃあ牛や鳥や豚とかだって生きているわけだからかわいそうという感情はもちろん湧く。
でもそれでも俺は食べている。
いくらなんだって生きるためには食べなくちゃいけないからね。
大豆とか植物を食べれば良いって言う人もいるけれど、俺の考えとしては植物だって同じ命。
命に軽いも重いもないから-実際のところ感情の良し悪しで重さが変わってしまっている悲しい所もあるけれど(でも動物は絶体絶命の時は一番生き残る可能性のあるものを親は助けると言うから、やっぱり命の重さは変わるのだろうか…?でもそれは本能的なものだからすべてにおいては、という点ではちがうかな…他の生き物食べるし(長)-あれはだめで、それは良いってのはなんか違う気がするんだ。
別にそうしている人を非難する気は全く無いし、むしろそうゆうはっきりとした意思を持って何かを出来るってのは凄いことだと思ってる。
でもだからってそれを人に押し付けちゃいけない。
受け取ることは出来るけれど、その後は自身の問題だからね。
あくまでも自分、もしくは同じ考えの人の中でそれを貫き通す。
人は人。
こうゆう人もいるんだ、と主張は結構だけれども、押し付けたり非難するのでは何ら解決にもならないし、これは一個人ごとに意見などまるで違うから、分かり合える問題でもない。
要はこれも受け取る側と渡す側の意識の問題。
簡単に言うなら、前に出した料理は言葉の引用で…
そうだね、同じ名前の料理でも、各家庭での調理法は違うって事。
野菜炒め一つをとっても材料が一つ一つ違うなら同じものにはなりえないからね。
それを「これは野菜炒めじゃない、これは間違いだ。それを野菜炒めと呼んじゃいけない」なんて言っても、その人のうちではそれが野菜炒めなんだから。
それは非難したり、これじゃいけないとか言ったりできることじゃないよね?
そうゆうこと。
俺の中ではそうゆう考え。
まぁ、これは食べる食べないに関わらず全部に言えることだけれども。
…ううん、やっぱりなんとも難しい問題。
(文句非難は受け付けないよー、ごめんね!)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
これも難しい問題。
こっちはもっと今時の話。
苦手な人は戻ること推奨ー!
(苦手な人用に透明にしておこう…(何の意味がある)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
今は機械技術が発達して、なんと脳と機械の伝達だけで、したいことが出来る時代になっているんだ。
ねずみが「レバーを押せば、水が飲める」ということを学習すると、その一連の行動は、脳に決まったパターンを生み出す。
そのパターンを機械に入力し、レバースイッチを、脳からそのパターンがでれば水が飲めるようになるというスイッチに切り替える。
そうするとどうだろう、見事に動く。
(これはネズミの脳に直接電極のようなものを繋いでいて、あまり見目よろしくはないけども)
また、人にも使われるようになり、腕のない人でも頭に思い描いたとおりにコンピューターを動かせたり、機械の腕を動かすことができる。
これを聞いたとき、俺はすごいと思うと同時に恐ろしく感じた。
これが医療で広まるのならとても良い成果を得られるとは思う。
―けれど、これがもし、争いの力になるのなら…?
この力を考えた一人は言っていた。
この力の使い方を考えるのは私たちではなく大衆だと。
でもそのとき、大衆が力を選んでしまったら…?
先の技術が進むと…最悪の方向を考えれば核などの恐ろしい兵器が脳のパターン一つで発動するようになり、人の脳に一定のパターンを送ることである程度の殺人衝動を起こさせることだってできる。
最悪のパターンで考えれば、だけれど…人が考えつくことは全て実行できるんだ。
人は甘く、弱い生き物。
他の生き物と違って自分達の為だけになることに知恵が付きすぎた。
だから、俺はこれからが怖い。
この先一体どうなるかわからない…そんな先の見えない未来を確実に蝕んでいるものは…
―やっぱり人なんだ。
これも個人の意見は変わるだろうけれど、俺は、少なくとも何かを犠牲にして得る力よりも医療などの発展につながる希望ある未来が欲しいと思うよ。
なんとも難しい問題だな、と思う。
生きるために食べる、それはあること。
それはどの生き物だってそうしている。食物連鎖という自然の掟。
だからこそ、人も当たり前のように生き物を狩り、動植物を食べている。
でも人は複雑だから、「哀情」のもとに食べない、という人だっている。(それだけじゃなく、宗教上の問題や他もあるけどね…)
そりゃあ牛や鳥や豚とかだって生きているわけだからかわいそうという感情はもちろん湧く。
でもそれでも俺は食べている。
いくらなんだって生きるためには食べなくちゃいけないからね。
大豆とか植物を食べれば良いって言う人もいるけれど、俺の考えとしては植物だって同じ命。
命に軽いも重いもないから-実際のところ感情の良し悪しで重さが変わってしまっている悲しい所もあるけれど(でも動物は絶体絶命の時は一番生き残る可能性のあるものを親は助けると言うから、やっぱり命の重さは変わるのだろうか…?でもそれは本能的なものだからすべてにおいては、という点ではちがうかな…他の生き物食べるし(長)-あれはだめで、それは良いってのはなんか違う気がするんだ。
別にそうしている人を非難する気は全く無いし、むしろそうゆうはっきりとした意思を持って何かを出来るってのは凄いことだと思ってる。
でもだからってそれを人に押し付けちゃいけない。
受け取ることは出来るけれど、その後は自身の問題だからね。
あくまでも自分、もしくは同じ考えの人の中でそれを貫き通す。
人は人。
こうゆう人もいるんだ、と主張は結構だけれども、押し付けたり非難するのでは何ら解決にもならないし、これは一個人ごとに意見などまるで違うから、分かり合える問題でもない。
要はこれも受け取る側と渡す側の意識の問題。
簡単に言うなら、前に出した料理は言葉の引用で…
そうだね、同じ名前の料理でも、各家庭での調理法は違うって事。
野菜炒め一つをとっても材料が一つ一つ違うなら同じものにはなりえないからね。
それを「これは野菜炒めじゃない、これは間違いだ。それを野菜炒めと呼んじゃいけない」なんて言っても、その人のうちではそれが野菜炒めなんだから。
それは非難したり、これじゃいけないとか言ったりできることじゃないよね?
そうゆうこと。
俺の中ではそうゆう考え。
まぁ、これは食べる食べないに関わらず全部に言えることだけれども。
…ううん、やっぱりなんとも難しい問題。
(文句非難は受け付けないよー、ごめんね!)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
これも難しい問題。
こっちはもっと今時の話。
苦手な人は戻ること推奨ー!
(苦手な人用に透明にしておこう…(何の意味がある)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
今は機械技術が発達して、なんと脳と機械の伝達だけで、したいことが出来る時代になっているんだ。
ねずみが「レバーを押せば、水が飲める」ということを学習すると、その一連の行動は、脳に決まったパターンを生み出す。
そのパターンを機械に入力し、レバースイッチを、脳からそのパターンがでれば水が飲めるようになるというスイッチに切り替える。
そうするとどうだろう、見事に動く。
(これはネズミの脳に直接電極のようなものを繋いでいて、あまり見目よろしくはないけども)
また、人にも使われるようになり、腕のない人でも頭に思い描いたとおりにコンピューターを動かせたり、機械の腕を動かすことができる。
これを聞いたとき、俺はすごいと思うと同時に恐ろしく感じた。
これが医療で広まるのならとても良い成果を得られるとは思う。
―けれど、これがもし、争いの力になるのなら…?
この力を考えた一人は言っていた。
この力の使い方を考えるのは私たちではなく大衆だと。
でもそのとき、大衆が力を選んでしまったら…?
先の技術が進むと…最悪の方向を考えれば核などの恐ろしい兵器が脳のパターン一つで発動するようになり、人の脳に一定のパターンを送ることである程度の殺人衝動を起こさせることだってできる。
最悪のパターンで考えれば、だけれど…人が考えつくことは全て実行できるんだ。
人は甘く、弱い生き物。
他の生き物と違って自分達の為だけになることに知恵が付きすぎた。
だから、俺はこれからが怖い。
この先一体どうなるかわからない…そんな先の見えない未来を確実に蝕んでいるものは…
―やっぱり人なんだ。
これも個人の意見は変わるだろうけれど、俺は、少なくとも何かを犠牲にして得る力よりも医療などの発展につながる希望ある未来が欲しいと思うよ。
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