無題

―記憶は、諸刃の剣なのだから。

…彼女は前にもそう言っていた。

記憶は過去の過ちを繰り返さないように
警鐘を鳴らして守ってくれている

でも、

辛いことを忘れることが出来なければ
それは胸を締め付けるような毒へと変わっていく、と



なんて厄介なんだろう。
どんなに叫んでも縋りたくても届かない場所にいるくせに、
こうゆう時だけ向こうから触れてくるだなんて。
優しく触れてくるのに、その甘さが酷く辛い。

息を吸う度に喉は震えて、
吐き出すことすら苦しくてとても熱い。


「…最悪だ…」
『…何が？』
「全部」

聞かれて、辛うじて出る小さな声で即答する。

苦しい理由も泣きたい訳も、叫びたいものすら、何一つわからない。
多分一番最悪なのは、自分。


―やらなければならないことがある。
それは勝手に誓った約束。
どんな言い訳をしたって結局は自分の為でしかない、身勝手な話。

それでも、今自分が立っていられる大事な理由。

その為なら、たとえ苦しくても離してはいけない。
残された時間も、もうあまり長くもない。
だから…

考えていることが伝わったのか、小さなため息とともに頭をポンと軽くたたかれる。

『もぅ…ま、程々にね』
「うん…」
『…逆もあることを、忘れないことよ』

フッ、と気配が消える。
ふらりとあらわれては、いつの間にかいない。
まるで記憶みたいな人だ、とふと口元が緩む。

少しすっきりした視界に映るのは、まだまだ元気な夏の日差しと元気に走り回る家の子達。
元気が良すぎて畑に突っ込んでる子も何匹かいるみたいだ。
やれやれ、と思いながら大きな盥を抱えつつ外へ向かう。


色々辛いことはある。
それでもこうして居られるのは、それを支えてくれる人達がいるから。
そのつもりがなくても、与えられるものはたくさんある。
無駄なものなんてなくて、全てが大事な力へとかわる。

記憶が自身を苦しめ傷つけることがあっても、それを癒し守るのもやっぱりまた記憶なんだ。
彼女の言ってることは、正しい。

「ちゃんと、わかってるよ」

だから、大丈夫。

小さく頷いて、深呼吸をして。
それから扉を開けて、外へと駆けだした。